フィッシャーマンのためのフィッシングカフェ


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第15章 丸沼鱒釣倶楽部のメンバーたち(7)・・・「加藤 高明」

第15章 丸沼鱒釣倶楽部のメンバーたち(7)・・・「加藤 高明」

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明治維新によって広く欧米に門戸を開いた日本では、その後、上流階級の子弟が次々に留学へと旅立っていった。
欧米の文化、技術を学び、一刻も早く日本がそれに追いつくことを願う、向学心に燃えた若者たちである。
しかし、彼らが持ち帰ったのは政治や経済、科学の先進情報だけではなかった。
欧米上流階級の生活様式や価値観、余暇の過ごし方も身につけて帰国したのである。
趣味や遊びを通じて友好を深め、それを事業や政治に活かすという流れは、古今東西珍しいものではないが、その子弟たちは日本になかったフライフィッシングやゴルフなどを嗜むようになっていたのだ。
鹿鳴館でダンスを踊りながら文明国であることをアピールしたり、各国外交官との交遊を図ったのは有名な話だが、こういった趣味などが果たす役割も見逃すことはできない。

そんな日本の上流階級の人々が奥日光の地にマス釣りの桃源郷を見出した。
丸沼である。明治時代初頭、すでにニジマスなどの養殖、放流が行なわれていた同湖は、周囲を豊かな緑で覆われ、その清冽な湖水は水源をほぼ湧水に依存という恵まれた環境にあった。
海抜千mを優に超すその気候は夏でもさわやかで、高温多湿の首都東京に暮らす彼らにとっては絶好の避暑地でもあった。
後の外務大臣加藤高明や鍋島桂次郎は、ここに丸沼鱒釣会を発足させ、日本におけるマス釣りの歴史が幕を開けたのである。


加藤 高明 (かとう たかあき)

生年月日 1860年1月25日(旧暦安政7年1月3日)
出生地 尾張国
没年月日 1926年1月28日(満66歳没)

出身校 東京大学法学部卒業
前職 外交官(在イギリス公使)
所属政党 立憲同志会 → 憲政会
称号 正二位 大勲位菊花大綬章 伯爵
法学士(東京大学・1881年)

配偶者 加藤春路(岩崎弥太郎長女)

第24代 内閣総理大臣
内閣 加藤高明内閣
任期 1924年6月11日 - 1926年1月28日

第16・19・26・28代 外務大臣
内閣
第4次伊藤内閣 (16)
第1次西園寺内閣 (19)
第3次桂内閣 (26)
第2次大隈内閣 (29)

任期
1900年10月19日 - 1901年6月2日 (16)
1906年1月7日 - 同3月3日 (19)
1913年1月29日 - 同2月20日 (26)
1914年4月16日 - 1915年8月10日 (29)

その他の職歴
貴族院議員 (1915年8月10日 - 1926年1月28日)

生涯

財界への歩み

尾張藩の下級藩士である服部重文・久子夫妻の次男として生まれた。
父は尾張海東郡佐屋(後の愛知県海部郡佐屋町、現在は愛知県愛西市)の代官の手代だった。
1872年(明治5年)、祖母・加奈子の姉あい子の加藤家に養子に入り、高明と改名。
旧制愛知県立第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)・名古屋洋学校を経て、1881年(明治14年)7月に東京大学法学部を首席で卒業し、法学士の学位を授与された。
その後三菱に入社しイギリスに渡る。
帰国後は、三菱本社副支配人の地位につき、岩崎弥太郎・喜勢夫妻の長女・春路と結婚。
このことから後に政敵から「三菱の大番頭」と皮肉られる。

財界から官界、政界へ

外務大臣在任中
1887年(明治20年)より官界入りし、外相・大隈重信の秘書官兼政務課長や駐英公使を歴任。
1900年(明治33年)には第4次伊藤内閣の外相に就任し、日英同盟の推進などに尽力した。
その後、東京日日新聞(後の毎日新聞)社長、第1次西園寺内閣の外相、駐英公使、第3次桂内閣の外相を歴任する。
その間、衆議院議員を1期務め、後に貴族院勅選議員に勅任された。
1913年(大正2年)、桂太郎の主導による立憲同志会の結成に参画して、桂の死後に総理(立憲同志会は総裁職を総理と呼称していた)となった。
翌年第2次大隈内閣の外相として、第一次世界大戦への参戦、対華21ヶ条要求などに辣腕を振るった。
大隈退陣後は、同志会と中正会が合同して成立した憲政会の総裁として元老政治の打破・選挙権拡張をめざす。
しかし、同志会結成の過程で犬養毅らと対立し、元老の西園寺公望からは対華21ヶ条要求を出した事に対して批判を加えられた。
また総選挙のたびに議席数を減らすなど平坦な道のりではなく、苦節十年と呼ばれる長期にわたる在野生活を送った。
唯一、高橋内閣総辞職の際に、「加藤友三郎が辞退した場合には、加藤高明を後継総理とする」決定(「加藤にあらずんば加藤」といわれた)が元老会議で出された事があったが、これを知った立憲政友会が辞退を決意していた加藤友三郎を説得して翻意させてしまったために政権獲得の好機を逸している。

組閣以降

第二次護憲運動で清浦内閣が倒れ、立憲政友会、憲政会、革新倶楽部の所謂、護憲三派が新しく組閣することになった。
1924年(大正13年)6月11日、憲政会が比較第一党となり加藤は内閣総理大臣となった。
加藤は東京帝国大学出身初の首相である。選挙公約であった普通選挙法を成立させ、日ソ基本条約を締結しソ連と国交を樹立するなど、一定の成果をあげた。
しかし一方では共産党対策から治安維持法を同時に成立させた。
この法規は後に言論弾圧の口実として使われ、特に戦時中に乱用されたとして治安維持法反対派からは強く批判されている。
一方で治安維持法擁護派からはこの時期に労働運動が多発しており、またロシア革命の影響から普通選挙法によって共産主義が爆発的に広がる可能性もあったことから出されたもので、当時の各国も同様の法規を有していたことからやむを得ぬものであったとする意見もある。
また、宇垣軍縮に見られるような陸軍の軍縮を進める一方で陸軍現役将校学校配属令を公布し、中等学校以上における学校教練を創設した。
こうした右左の政治を狡猾に使い分けた加藤の治世を飴と鞭と称することもある。
また、この内閣から以降7代、衆議院の多数政党が内閣を交互に組織する「憲政の常道」が確立され、大正デモクラシーの成果が実った内閣でもあった。
この内閣には元総理の高橋是清、加藤のあと次々と総理となる若槻禮次郎、濱口雄幸、幣原喜重郎(臨時)、犬養毅が閣僚におり、本格的な政党政治時代のスタートに相応しい内閣であったと言えよう。
翌年、憲政会と政友会のつなぎ役であった横田千之助司法大臣が急死すると、政友会と憲政党は内紛を起こして護憲三派連立は崩れて加藤内閣は崩壊する。
だが、元老の西園寺公望は自らが次の政友会内閣の首班に期待していた横田が死ぬとたちまちその遺志を踏みにじって護憲三派を崩壊させた政友会に失望して、個人的には好意的ではなかった加藤に政権を続投させる決断をした。
これを受けて1925年(大正14年)8月2日、加藤の憲政会単独内閣となる。
しかし、その翌年の1月22日、加藤は帝国議会内で肺炎をこじらせて倒れてそのまま6日後に逝去。
66歳没。
加藤の逝去後に、若槻禮次郎が内閣総理大臣臨時代理を経て組閣の大命を受けて第1次若槻内閣を組閣し、大正から昭和へと時代が代わることとなる。

家族

妻は岩崎弥太郎の長女・春路。
長女悦子は岡部長景の妻。
新選組隊士佐野七五三之助は母方の伯父にあたる。

栄典
1902年(明治35年)12月28日:勲一等瑞宝章
1911年(明治44年)8月24日:男爵
1916年(大正5年)7月14日:勲一等旭日桐花大綬章、子爵(陞爵)
1926年(大正15年)1月28日:大勲位菊花大綬章、伯爵(陞爵)

伝記 [編集]

ウィキメディアより引用。


三菱人物伝 加藤高明

加藤高明(かとうたかあき)と幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)。
ともに外交官から外務大臣に抜擢され、政界に転じてついには首相になった。
頂点に立った時期は20年ずれるが、ふたりとも岩崎彌太郎(いわさきやたろう)の娘を妻とした「三菱ゆかりの人」である。

四季折々の花が香る名古屋の鶴舞公園に、野外ステージ「普選記念壇」がある。
正面に『五箇条の御誓文』が掲げられ、なにやら場違いな感じがしないでもないが、じつは護憲三派内閣の首相となった加藤高明が、大正14年(1925)に普通選挙法を成立させたことを記念して建設されたものである。
国税を3円以上納付した男性に限定されていた選挙権はこれにより25歳以上の男性すべてに開放され、有権者数は一気に4倍になった。
女性にも参政権が与えられるのは、終戦後の昭和20年〈1945〉になってからである。
この時の首相は奇しくも義弟幣原喜重郎だった。

加藤は万延(まんえん)元年(1860)尾張(おわり)藩の下級武士の家に生まれた。
東京大学法学部を卒業すると郵便汽船三菱会社に入り、明治16年(1883)に英国の海運業を学ぶためロンドンに留学した。
明治18年に帰国して三菱に復帰、神戸支社副支配人となり、のちの合併で日本郵船へ。
翌年、岩崎彌太郎の長女春路(はるじ)と結婚した。
英国留学で垣間見た国際舞台を忘れられず、ロンドンで知遇を得た陸奥宗光に働きかけて推薦を得、明治20年に外務省に入った。

加藤は持ち前の明晰な頭脳と剛直な性格に加え、運にも恵まれた。
間もなく、義父岩崎彌太郎に理解のあった大隈重信が、黒田清隆内閣で外務大臣になった。
加藤は大隈の秘書官として登用され希望通り国際舞台に踊り出ることができた。
外交官としてのその後は順風満帆で、やがて駐英公使となり日清戦争後の日英関係の好関係樹立に尽力、明治33年には第4次伊藤博文内閣で外務大臣になった。
このとき、 40歳。


護憲三派内閣の首相に

かくして政界に足を踏み入れることになり、かたわら東京日日新聞の社長も務めた。
41年の桂太郎内閣のとき加藤は駐英大使に転出したが、時代の節目節目で外相を務め、第一次世界大戦後は「対華21か条の要求」など強気の外交政策を主導した。
大正5年には憲政会総裁になり、大正13年5月の総選挙では、高橋是清の政友会、犬養毅の革新倶楽部とともに第二次憲政擁護運動を展開、三政党で過半数を獲得した。
第一党となった憲政会の加藤が首相になり、「護憲三派内閣」を組織した。
「護憲三派内閣」は、まずは貴族院の力をそぐ政治改革を断行、次に、懸案の『普通選挙法』を成立させ財産による選挙権の制限を撤廃し歴史に名を残した。
一方では無政府主義や共産主義勢力の台頭を抑えるため『治安維持法』も成立させている。
大正14年に成立した第二次加藤内閣は憲政会の単独内閣だったが、やんぬるかな、加藤は体調を崩して首相の座を若槻礼次郎に譲らざるを得なかった。
二日後に肺炎で急逝。
毀誉褒貶いろいろある政治家だったが、明治から大正にかけて、激動の時代の日本を動かした、存在感のある政治家だったことには異論がない。

三菱資料館 三菱人物伝 加藤高明 より引用。
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by kftkubo | 2012-08-16 13:40 | フライフィッシングの夜明け | Comments(0)