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第8章 中禅寺湖におけ移殖と放流の歴史

第8章 中禅寺湖におけ移殖と放流の歴史

中禅寺湖を代表とする奥日光の湖沼と河川には、古来より魚類が生息していなかったといわれている。
これは、中禅寺湖から流出する大谷川の下流約500m地点にある落差約100mの華厳滝によって、下流から魚類が上ってくることが妨げられたためである。
また、古来この地域は男体山を御神体とする二荒神社の社域で、宗教的霊地として殺生、他所からの動物類の持ち込み、移殖、放流などは固く禁じられていた。
古い記録ではカエルやイモリなどの両生類のみが見られた程度であったといわれている。

1873年(明治6年)に、当時の二荒山神社の宮司であった柿沼広身がこの宗教的戒律を解いて中禅寺湖への魚類の放流を許し、日光・細尾の住人星野定五郎が附近のイワナ2,200尾を最初に放流した。

1874年(明治7年)には、二荒山神社の宮司、柿沼広身が中禅寺湖にコイ20,000尾、フナ2,000尾、星野吉平がウナギ300尾、星野定五郎がドジョウ500尾を放流したとしている。

1881年(明治14年)に当時の農商務省は、いろは坂下の深沢にふ化場を設置。

1882年(明治15年)に琵琶湖からビワマス(アメノウオ)、北海道からマス卵(サクラマス)を移入し、ふ化放流を実施した。

「第1期日光養魚場報告(明治39年)」によれば、農商務省の施設に係るふ化放流の事業は1884年(明治17年)まで継続し3年にわたった。
その結果、魚類の養殖の成績は良く、中禅寺湖や渓流のいたるところで魚類の遊泳が見られたが、禁漁を犯す者があった。

1885年(明治18年)地元の有志が、栃木県の許可を得て漁業組合を組織し、魚類の繁殖保護を図り、また漁場、漁具等を制限し、永遠に利益を増進することを目的とする規約を設けた。

1887年(明治20年)にはカリフォルニア(アメリカ)からニジマス4,000尾が中禅寺湖に放流されている。

1907年(明治40年)当時の帝室林野管理局所管の養魚場でニジマスの養殖が始まった。
アメリカのコロラド州から82,100粒の発眼卵が到着した。
その後明治41年、明治42年、明治43年、明治45年と合わせて5回にわたって合計417,100粒が入ったが、現在の養殖研究所日光支所で飼育されているニジマスはその子孫である。
明治時代に移植されたものが今日まで一世紀近くもその系統を保ち続けているだけに遺伝資源としても貴重な魚である。

その後、明治年代において、ビワマス(アメノウオ)が琵琶湖から、ニジマスがカリフォルニア州(アメリカ合衆国)から、カワマスがコロラド州(アメリカ合衆国)から、ヒメマスが北海道の支笏湖と秋田県の十和田湖から移殖された。
閉鎖的な水域に移殖された魚類が定着するまでには長期にわたる人工増殖が必要で、現在でもこの努力は続いている。
現在、奥日光に生息する魚類はすべて移殖・放流によるものである。
明治初期からの140年にもわたる奥日光水域への移殖、放流の歴史は、我が国における冷水性魚類の人工増殖史として、貴重なものである。
中禅寺湖、湯ノ湖、湯川の奥日光水域における140年間にわたる移殖、放流の歴史である。

2011年3月の福島第1原発事故による放射能汚染により中禅寺湖におけ移殖と放流の歴史に最大の危機に直面している。
2011年の解禁はできたが、2012年3月に栃木県からの解禁延期要請を受け入れるとの発表があった。
今後の展開を慎重に見守りたいと思う。
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レイクトラウトが怒っています。
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by kftkubo | 2012-03-25 20:35 | フライフィッシングの夜明け | Comments(2)

最悪の事態です! 鱒釣の聖地 奥日光の中禅寺湖に栃木県が解禁延期要請

最悪の事態です。
鱒釣の聖地 奥日光の中禅寺湖に解禁延期要請が出てしまいました。
河川よりも湖沼は深刻です。
東日本の大地、山林に大量にまき散らした放射性物質は湖沼、河川に集まりだしています。
河川の場合、川底の土壌に付着した放射性物質は徐々に下流へと移動し最終的には海に行くといわれています。
しかし、湖沼の湖底の土壌に付着した放射性物質は底に堆積します。
セシウム137の半減期が約30年と長いことからも湖沼、海の放射能汚染は今後深刻化すると思われています。
日本を代表する「鱒釣の聖地 中禅寺湖」は今後どうなるのでしょうか?

以下、栃木県発表です。
魚類の放射性物質検査結果について(2012年3月8日発表)
放射性物質の河川及び湖沼の魚類への影響を確認するため、2月21日から3月5日にサンプリングを実施した魚類について、本日、その検査結果が判明しましたので報告します。
今回の検査では、養殖魚(イワナ及びヤマメ)5検体及び河川湖沼の天然魚(ヤマメ、ニジマス、ブラウントラウト、ヒメマス及びウグイ)17検体、合計22検体を対象としました。
その結果、養殖魚については、5検体全てで放射性セシウムは検出されませんでした。
河川湖沼の天然魚については、全ての検体で厚生労働省の定めた暫定規制値を下回るものの、男鹿川(日光市中三依)、荒井川(鹿沼市上久我)で採捕したヤマメ2検体及び思川(鹿沼市上粕尾)で採捕したウグイ1検体並びに中禅寺湖で採捕したニジマス、ブラウントラウト、ヒメマスの3検体、合計6検体から4月に施行予定の食品衛生法における基準値(100Bq/Kg)を上回る放射性セシウムが検出されました。
この結果を受けて、本日、関係漁業団体に対して、県内の下記河川におけるヤマメ、イワナ、ニジマス及び中禅寺湖におけるニジマス、ブラウントラウト、ヒメマスの解禁延期並びにウグイの採捕自粛を要請しました。

1 渓流魚解禁延期の要請
(1)荒井川本支流
(2)五十里ダムより上流の男鹿川本支流(湯西川ダムより上流の区域を除く)
(3)中禅寺湖及び流入河川(湯川を除く)
2 ウグイ採捕自粛の要請
(1)思川本支流(鹿沼市柏木養蚕場堰より上流の区域) 
http://www.pref.tochigi.lg.jp/g05/houdou/gyoruihousyanoukensa120306.html
検査結果
http://www.pref.tochigi.lg.jp/g05/houdou/documents/120308kensakekka.pdf
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ハンター鱒が泣いています。
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by kftkubo | 2012-03-09 13:20 | 河川の放射能汚染 | Comments(0)

第4章 中禅寺湖には、明治期に入る前まで全く魚はいなかった。

第4章 中禅寺湖には、明治期に入る前まで全く魚はいなかった。

 中禅寺湖は男体山噴火によるせき止め湖で華厳の滝が魚の遡上を阻んだ。
また、宗教上の聖地として殺生を禁じたため魚の棲まない湖だった。
 鎌倉時代に善かれた『続古事談』によると、下野国二荒山の頂にある中禅寺湖は清く澄みわたり、湖岸は樹林で囲まれている。
水面には木の葉ひとつ浮かべてなく、魚影を見ることができないと書かれている。
江戸期の『日光山志』や『遊中禅寺記』でもほぼ同じ記述である。

星野定五郎と大島藤三郎
 1873年(明治6年)に、当時の二荒山神社の宮司であった柿沼広身がこの宗教的戒律を解いて中禅寺湖への魚類の放流を許し、日光・細尾の住人星野定五郎が附近のイワナ2,200尾を最初に放流した。
 1876年(明治9年)、星野五郎平が赤腹魚を移殖した記録がある。
これはウグイのことであろうと推察されるが、その放流数は不明である。
ウグイは、適応性が強く、自然繁殖によって旺盛に繁殖したものであろう。
現在の生息状況をみると、その繁殖力は驚異的である。
毎年6月頃、中禅寺湖漁業協同組合では「アイソ祭り」を行い、観光客に串焼きのウグイを提供して好評を得、年中行事として定着している。
アイソとは栃木県地方におけるウグイの呼び名である。
 その後、二荒山神社の宮司や農商務省水産局がさまざまな淡水魚の放涜を試みた。
明治年代において、ビワマス(アメノウオ)が琵琶湖から、ニジマスがカリフォルニア州(アメリカ合衆国)から、カワマスがコロラド州(アメリカ合衆国)から、ヒメマスが北海道の支笏湖と秋田県の十和田湖から移殖した。
やがて中禅寺湖は、とくにサケ科淡水魚類の繁殖地として日本を代表する湖となっていった。
 明治十八年三月二四日付で「東京日日新聞」が次のような記事を載せている。
星野定五郎が中禅寺湖に放った五~六寸ばかりのイワナは、魚類は生息できないという従来の見方に反して繁殖を続けていた。
成長も思いのほか早く、県の官吏が出張して確かめたところ、すでに一尺五寸から三尺の大きさに達している。
中禅寺湖は禁漁とされているが、もし漁業を行なえば容易に数万尾を捕獲できると県に報告した。
中禅寺湖は古来、奥日光二荒山神社の境内に属しており、すべての殺生が禁じられていた。
しかし、このような記事が報じられ、湖に魚の姿が増え始めると、地元では密漁者が相次ぐようになった。
大島藤三郎は、密漁に深く心を痛めていた。
大島藤三郎は上州生まれ、幕末の混乱期に日光に移り、大島家の養子となった元武士である。
明治五年の学制発布の時から日光鉢石学舎清滝村分校で教鞭をとり、分校のあった細尾村の世話役、星野定五郎とは親しい間柄だった。
星野定五郎のイワナ放流に刺激されたのか、やがて山間僻地の中禅寺湖畔へ移り、土地の子どもたちに読み書きや算術、剣術などを教えながら日々を送っていた。
 明治十九年、大島藤三郎は、神の湖・中禅寺湖が密漁という犯罪の発生地になっているなら、皆の手で魚を育て、守り、合法的に漁獲する方法はないものだろうかと考えた。
土地の有志と話し合い、関係官庁を奔走して、魚の採卵、養殖などを行なうことを条件に、ついに漁獲が許可された。
大島藤三郎はただちに中宮嗣幸湖(中禅寺湖)漁業組合を創立し、漁業に着手した。
組合の総代に就いた大島藤三郎は、それからも中禅寺の漁業の発展のために奔走を続ける。
 明治二三年には東京・上野公園で開かれた第三回内国勧業博覧会に、米国種と日本種の鱒の剥製を多数出品して注目を集めた。
また、小松宮彰仁親王が会頭を務める水産伝習所の生徒を中禅寺湖に受け入れ、自ら講師として実習の指導をしている。

(「日光避暑地物語」福田和美 著 及びウィキペディア(Wikipedia)より引用)

PCにて検索をしていると出てきました。
中禅寺湖には、明治期に入る前まで全く魚はいなかったこと。
中禅寺湖に最初に岩魚とアイソ(ハヤ)を放流した人物は星野定五郎。
いつも入漁券を買っていた大島商店の先祖が中禅寺湖漁協を作った大島藤三郎だったこと。
中禅寺湖に放流されたイワナが最大で三尺(90cm)に成長したこと。
中禅寺湖がサケ科淡水魚類の繁殖に適していたこと。
琵琶湖のビワマス(アメノウオ)がホンマスの、北海道の支笏湖と秋田県の十和田湖のヒメマス、カリフォルニア州(アメリカ合衆国)のニジマス、コロラド州(アメリカ合衆国)のカワマスが中禅寺湖のサケ科淡水魚類のルーツだったこと。
明治二三年には東京開かれた第三回内国勧業博覧会に中禅寺湖の鱒の剥製を多数出品して注目を集めたこと。

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by kftkubo | 2012-03-04 20:19 | フライフィッシングの夜明け | Comments(0)

第3章 「日光の歴史」

第3章 「日光の歴史」
奥日光は古くからの猟場であったと思われ男体山の中腹からは石のヤジリが発見されている。
日光市内には16カ所の縄文・弥生遺跡があり集落跡や土器も発見されているが古墳は発見されていないことより狩猟民族マタギが先住民であったようだ。
日光山の開山は勝道上人とされている。

奈良時代
735年 天平7年 勝道上人下野国芳賀郡に生まれる
766年 天平神護2年 勝道上人、日光に四本龍寺を創建

平安時代
782年 天応2年 勝道上人男体山に登頂
784年 延暦3年 勝道上人中禅寺を創建
817年 弘仁8年 勝道上人入寂

鎌倉時代
1192年 建久2年 源頼朝鎌倉幕府を開く、以後日光山は幕府の関東の護りとしての地位を築く
1210年 承元年 弁覚日光三座主となり熊野修験を伝える、座主争いで荒れた日光山を復興、この頃日光山縁起できる
1308年 延慶元年 仁澄座主となり皇族座主始まる、この頃日光山修験盛ん

室町時代
1476年 文明8年 昌源座主となり杉、松数万本を植樹

安土桃山時代
1590年 天正18年 豊臣秀吉は小田原北条氏への加担を理由に日光山衆徒の所領を没収

江戸時代
1603年 慶長8年 徳川家康征夷大将軍となる
1616年 元和2年 家康逝去
1617年 元和3年 東照大権現号勅賜、家康の遺骸、駿河久能山より日光山に移る
1625年 寛永2年 松平正綱杉並木植樹を始める
1636年 寛永13年 徳川家光により東照廟大造替成る
1645年 正保2年 東照宮宮号勅賜
1651年 慶安4年 家光逝去、日光山大黒山に葬る
1653年 承応2年 大猷院廟落成
1655年 明暦元年 輪王寺号勅賜、守澄法親王輪王寺宮となる

明治時代
1869年 明治2年 日光県設置、輪王寺号廃止
1870年 明治3年 イギリス公使ハリ-・パ-クス日光を訪問
1871年 明治4年 日光県廃止し栃木県に変更、神仏分離により日光山は満願寺、二荒山神社、東照宮に分かれる
1872年 明治5年 男体山の女人禁制解除、ア-ネスト・サトウ氏日光を訪問し横浜の英字新聞に日光を紹介
1873年 明治6年 金谷善一朗氏、ヘボン博士の勧めにより「金谷カッテ-ジ・イン」オ-プン、 星野定五郎氏イワナを中禅寺湖に放流
1879年 明治12年 日光山の保存のため保晃会設立
1883年 明治16年 輪王寺号復活
1886年 明治19年 大島籐三郎氏中宮祠幸湖(中禅寺湖)漁業組合創立
1889年 明治22年 日光町制施行
1890年 明治23年 日本鉄道日光線開通
1902年 明治35年 ト-マス・グラバ-氏(長崎グラバ-邸で有名)、ハロルド・パ-レット氏と供にブルック・トラウト(パ-レット鱒)を中禅寺湖に放流、大水害発生、死者46名、家屋の被害160余戸、神橋流失

大正時代
1926年 大正5年 保晃会解散
1925年 大正14年 中禅寺湖への自動車道開通(第一いろは坂)、ハンス・ハンタ-「東京アングリング・アンド・カンツリ-クラブ」を設立

昭和時代
1929年 昭和4年 東武日光線開通
1931年 昭和7年 日光登山鉄道開通(ケ-ブルカ-)
1934年 昭和9年 日光国立公園指定
1944年 昭和19年 東京アングリング・アンド・カンツリ-クラブ閉鎖
1954年 昭和29年 日光市制施行
1965年 昭和40年 第二いろは坂開通
1976年 昭和51年 日光宇都宮自動車道開通

平成時代
1999年 平成11年 二社一寺からなる「日光の社寺」を、日本で10番目の世界遺産に指定。

1886年 明治19年 大島籐三郎氏中宮祠幸湖(中禅寺湖)漁業組合創立とあるが、それ以前はどうなっていたのか。
江戸時代、奥日光中禅寺湖には魚類は生息していなかったとされている。
ブラウントラウト、レインボートラウト、レイクトラウト、スティールヘッド、ブルックトラウト、ホンマス、ヒメマス、イワナ、アイソ、ワカサギなどたくさんの魚たちが生息する中禅寺湖にどのような歴史があったのか。
次のキーワードは「鱒類における中禅寺湖の歴史」。

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by kftkubo | 2012-03-03 09:42 | フライフィッシングの夜明け | Comments(0)