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第14章 丸沼鱒釣倶楽部のメンバーたち(6)・・・「古河 虎之助」

第14章 丸沼鱒釣倶楽部のメンバーたち(6)・・・「古河 虎之助」

今から100年前の大正元年(1912年)、当時の政実業家たちの親睦団体である「東京倶楽部」の釣り好きによって「丸沼鱒釣倶楽部」が生まれた。
今村繁三、赤星鉄馬、土方寧、西園寺八郎、伊集院子爵、飯島魁、加藤男爵、岩崎小弥太、古川虎之助、鍋島桂次郎などが主なメンバーであった。
後に、ハンス・ハンター氏が奥日光中善寺湖畔に鱒釣りを中心とした会員制の『東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部』 を大正末から昭和初期に設立した。
在日外交官や日本の上流階級の紳士的な社交の場として設けた同倶楽部は秩父宮、東久邇宮、朝香宮を賛助会員に、代表は佐賀藩主の家柄の鍋島直映(なおみつ)公爵、会長は時の加藤高明首相、副会長には三菱財閥の岩崎小弥太男爵、会員には後の日銀総裁土方久徴、古河財閥の古河虎之助男爵、樺山愛輔伯爵ら錚々たる人たちが名を連ねている。

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古河 虎之助(ふるかわ とらのすけ)
明治20年(1887年)1月1日 - 昭和15年(1940年)3月30日)

日本の実業家。
東京都出身。
古河財閥創業者古河市兵衛の実子で、3代目当主。
男爵。
虎之助が大正6年(1917年)から大正15年(1926年)まで暮らした邸宅は、現在は都立旧古河庭園として公開されている。
歌舞伎役者が隣りに並びたがらない程の絶世の美男だった。
古河市兵衛の晩年の子である。

明治36年(1903年)に慶應義塾普通部を卒業し、ニューヨークのコロンビア大学に留学。
明治38年(1905年)1月に義兄である潤吉の養子となるが、同年12月に潤吉が36歳の若さで病没したため、若くして古河財閥の3代目当主となった。
間もなく、副社長として病床の潤吉を支えてきた原敬も内務大臣就任のため古河鉱業を辞任。
市兵衛の片腕だった木村長七が虎之助の後見人となって実際の経営を取り仕切った。
明治40年(1907年)親戚で古河鉱業社員の中島久万吉と共に欧米を遊学の後に帰国。
この中島久万吉が後の古河家を支えていく。
大正4年(1915年)12月1日、経済発展に尽力した実父市兵衛の勲功により男爵に叙爵された。

虎之助が財閥を相続した当時、経営基盤は依然として足尾銅山が産出する銅であった。
鉱毒問題に対しては、古河鉱業も鉱毒予防令に従い対策工事を実施していたものの、同社への非難の声はなお根強かった。
1906年、古河鉱業社長に就任して間もない虎之助は社会的な非難を緩和すべく、原敬の助言に従い資金難で設置が危ぶまれていた東北帝国大学と九州帝国大学の校舎建設費用の寄付を申し入れた。
寄付金の総額は1907年度から5年間で106万円に達した。
この資金で建てられた校舎のうち1棟が、現在も北海道大学構内に古河記念講堂として残されている。

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、銅の特需に後押しされた古河財閥は経営の多角化を推し進めた。
1918年までには、持株会社の古河合名会社が直轄する鉱業(古河鉱業)・金融(古河銀行)・商社(古河商事)を中心として、傘下に20社以上の企業を束ねる一大コンツェルンに拡張させた。
しかし1920年の戦後恐慌による銅価格の暴落や投機取引の失敗により経営が失速。
1921年に古河商事が破綻、1931年には古河銀行を第一銀行に譲渡するに至り、総合財閥として欠かせない商社と金融の機能を喪失した。

一方、社長在任中には古河電気工業(1920年合併)や富士電機製造(1923年設立)、富士通信機製造(1935年設立)など、後に親会社の古河鉱業を上回る大企業となった会社が複数誕生している。
軍需の拡大した1930年代は鉱業部門に代わってこれらの工業部門が業績を伸ばし、古河財閥は再び急成長していった。
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by kftkubo | 2012-06-16 12:56 | フライフィッシングの夜明け | Comments(0)