フィッシャーマンのためのフィッシングカフェ


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第7章 トーマス・ブレイク・グラバー 

第7章 トーマス・ブレイク・グラバー 

1838年6月6日 - 1911年12月16日
スコットランド出身の商人。
武器商人として幕末の日本で活躍した。
日本で商業鉄道が開始されるよりも前に蒸気機関車の試走を行い、長崎に西洋式ドックを建設し造船の街としての礎を築くなど日本の近代化に大きな役割を果たした。
維新後も日本に留まり、高島炭鉱の経営を行った。

スコットランド・アバディーンシャイアで沿岸警備隊の1等航海士トーマス・ベリー・グラバーとメアリーの間に8人兄弟姉妹の5人目として生まれる。
ギムナジウムを卒業した後、1859年に上海へ渡り「ジャーディン・マセソン商会」に入社。
同年9月19日(安政6年8月23日)、開港後まもない長崎に移り、2年後には「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理人として「グラバー商会」を設立し、貿易業を営む。
当初は生糸や茶の輸出を中心として扱ったが八月十八日の政変後の政治的混乱に着目して薩摩・長州・土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売。
亀山社中とも取引を行った。
また、薩摩藩の五代友厚・森有礼・寺島宗則、長澤鼎らの海外留学、長州五傑のイギリス渡航の手引きもしている。
1865年4月12日(元治2年3月17)には、大浦海岸において蒸気機関車アイアン・デューク号を走らせた。
本業の商売にも力を注ぎ、1866年(慶応2年)には大規模な製茶工場を建設。
1868年(明治元年)には肥前藩と契約して高島炭鉱開発に着手。
さらに、長崎の小菅に船工場を造った。
明治維新後も造幣寮の機械輸入に関わるなど明治政府との関係を深めたが、武器が売れなくなったことや諸藩からの資金回収が滞ったことなどで1870年(明治3年)、グラバー商会は破産。
グラバー自身は高島炭鉱の実質的経営者として日本に留まった。
1881年(明治14年)、官営事業払い下げで三菱の岩崎弥太郎が高島炭鉱を買収してからも所長として経営に当たった。
また1885年(明治18年)以後は三菱財閥の相談役としても活躍し、経営危機に陥ったスプリング・バレー・ブルワリーの再建参画を岩崎に勧めて後の麒麟麦酒の基礎を築いた。
私生活では五代友厚の紹介で、ツルとの間に長女ハナをもうけている。
また、息子に倉場富三郎がいる。
晩年は東京で過ごし1908年(明治41年)、外国人として破格の勲二等旭日重光章を授与された。
1911年(明治44年)に死去。
墓は長崎市内の坂本国際墓地にある。
ツルとともに埋葬されており、息子の富三郎夫妻の墓とは隣同士である。
邸宅跡がグラバー園として一般公開され、現在は長崎の観光名所となっている。

太宰府天満宮にある麒麟像をたいそう気に入っていたらしく、何度も譲ってほしいと打診していた。
キリンビールの麒麟は麒麟像と坂本龍馬を指しているとの説もある。
スコットランド系フリーメイソンリーといわれるが、根拠はない。
なお日本のフリーメーソン設立(横浜ロッジ)も1866年(慶応2年)といわれ(薩長同盟もこの年)可能性は否定出来ない。
(ウィキペディアより引用)

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グラバー商会倒産後、グラバーは三菱財閥の顧問として上京した。
グラバーは、東京の夏の蒸し暑さから逃げるように、当時避暑地として注目されていた日光へと向かう。
中禅寺湖漁業組合総代の大島籐三郎がグラバーの世話をした。
その息子・久治がグラバーと親しくなり、やがてグラバーに預けられ、教育を受けることになる。
明治35年に日英同盟が締結された際、グラバーは記念として、中禅寺湖に流れ込む湯川にアメリカ産の川鱒を放流するという贈り物をしたが、水害で全滅してしまう。
グラバーは明治37年にふたたび川鱒を放流し、それで根付いた。
この時期にグラバーとその仲間たちが奥日光でフライフィッシングを始めたと思われる。
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by kftkubo | 2012-03-23 19:55 | フライフィッシングの夜明け